こんにちは。
今日は、最近、毎晩のように
「こわい。こわい。」
と私に抱きつく長男(5)こうちゃんのこと。
私には『布団の中で、死んだらどうなるんだろう、と考えたら、得体もしれない恐怖が襲ってきて寝れなくなった』という記憶があります。
汗をかくくらいに、ぎゅっと、隣で寝ている妹にしがみついて朝を待ちました。
朝を待っているうちにいつの間にか寝てしまっていたのですが。
皆が通る道なのでしょうか。
どうやら、こうちゃんにそういう時期がきているようです。
私はいつも、こうちゃんと、次男のはーちゃんの間で寝ます。
2歳のはーちゃんは、私と抱き合って寝るので、こうちゃんは私の背中側にいます。
ところが、最近は
「ママ、こっち向いて。こわい。こわい。」
と言って、背中を引っ張ります。
私は、ちょっとまってね、はーちゃんが寝てから……となだめます。
はーちゃんが寝ると、私はこうちゃんの方を向きます。
こうちゃんは、私の胸に顔を埋めて
「ママ、こわい。」
と言うんです。続けて
「ママが死んだらどうなるの?」
なんて言うから
「ママだって死んだことないから、わからないけど、大丈夫だよ。ママ、まだ死なないし。」
と答えます。
「こうちゃんが死んだら、どうなるの?」
「こうちゃんは、まだまだ死なないよ。」
「でも、ずっと先は死む?」
こうちゃんは「死ぬ」のことを「死む」といいます。
人は皆、いつか死ぬからね。と言いそうになって、これではこうちゃんが寝れなくなると思い、私は
「わかんない。死なないかも!」
なんて、変な答えをしてしまいました。
こうちゃんは、そうやって、ここ3〜4日くらい
「こわい、こわい。」
と言って、なかなか寝れません。
「ママ、歌って。そうすると、ちょっと怖く無くなるかも。」
と言うので ♪小鳥はとっても歌が好き〜♪ とか、ゆ〜きやコンコンあられやコンコン♪ なんて歌いながら寝つかせます。
2年くらい前かな。こうちゃんが、
「え?パパとママも死むの?」
と聞いてきたことがあります。
「まだまだ、ずっと先だけどこうちゃんより先に死ぬだろうね。」
と、答えた私にこうちゃんは
「え〜!じゃあ、こうちゃんのご飯、誰が作るの!?」
と目をまん丸くして言いました。
そこかよ!と、苦笑いしたものです。
その頃に比べたら、こうちゃんは成長しました。
私は、子供の頃のように、死について考えて、寝れなくなるということが無くなりました。
いざ、死に向かいあったら、恐怖が襲いかかってくるでしょうけれども。
健康体の今、死んだ先のことを考えて怖がるのは無駄だと、無意識に学んだのかもしれません。
いくら考えても、死んだ先のことなんて死んでみなければわからない。という答えしか出てこないのですから。
86歳の祖母は
「ばあちゃんは、いつ死んだっていいと思っている。」
と言います。
それは、本当にそう思っているのか、「そんなこと言わないで、寂しいから。」や、「おばあちゃんは長生きするよ。」という答えを望んで言ってるのか、判断ができません。
ただ、身内が「死んだっていい。」なんて言うのは寂しいことです。
祖母は、肝臓に癌があるのですが、それを特段怖がっている様子もありません。
「フランスにもう1回行って見たかったけど、もう足が動かないわ。あとは死ぬだけだ〜。」
と言って笑う祖母。
死に対する恐怖は、こうちゃんより私、私より祖母のほうが少ないように思います。
歳をとると、死に対する恐怖は減っていくのかな。
人は人生をかけて、死を受け入れる準備をするのだとしたら、5歳のこうちゃんにはまだ早すぎる。
寝る前に、こわいこわいと怯える息子に、何かをしてあげたいのだけれども、私はぎゅっと抱きしめて「大丈夫だよ。」と言うことしかできません。
何が大丈夫なのか、私自身もわかっていないのだけれども。
皆が想像してとらわれてしまうけれども、誰も知らない死後の世界。
今日、本屋をふらふらしていたら、「かないくん」という絵本がありました。
帯には「死ぬとどうなるの。」と書かれていました。
何か、こうちゃんに伝えられることは無いかなと思い、買ってみました。
死を題材にした、絵本です。
小学校4年生の時に亡くなった「かないくん」のことを絵本に書こうとした老作家が
「死を重々しく考えたくない、かといって軽々しく考えたくもない」と、絵本をどう終わらせてよいか悩むところが印象的でした。
残されたものは、死んでしまった人の死を受け止めて、生を続けていくことしかできないですし、死んだ先のことなんてやっぱりわからない。そう感じました。
とても静かでいい絵本でした。
でも、こうちゃんに見せるのはまだ早いなと思い、そっと2階の寝室にしまいました。