なんでもない私の、ひとつひとつ。

5歳と2歳の男の子を育児中。夫のこと、息子たちのこと、趣味のこと、思いついたこと。どこにでもいる主婦の徒然。リノベーションのブログ、始めました!

私の大好きなJoão Gilberto(ジョアン・ジルベルト)② 伝説の初来日編

こんにちは。りかです。

先日の記事に続きボサノヴァの神様、ジョアン・ジルベルトのことを書きました。

今回は随分長々と書いてしましました。15年も前のコンサートの話なのに!

 目次をつけるので、興味があるところだけ見てくださいね。

 

 

先日の記事はこちら

www.rikaboo.com

 

 2003年9月、ジョアンの初来日公演へ!

 

2003年の9月、東京にきたジョアン・ジルベルトの初来日の公演に行ってきました。

このツアーは、2003年9月11日、12日を東京フォーラムAで、15日をパシフィコ横浜で、16日の最終日は再び東京フォーラムAという日程でした。

私が行ったのは、最終日16日です。

 

学生だった私は、頑張ってチケットを買って宮城県からドキドキしながら東京に向かいました。あの頃の私にはとても高かったチケット代と交通費を払ったけれども、果たしてジョアンは歌ってくれるのだろうか。そんな心配をしていました。

ジョアン・ジルベルトは、コンサートをすっぽかしてもおかしくないと思わせる人ですからね。

 

ジョアンの奇人と言われる数々のこと

ジョアンはステージの音響を、入念にチェックするするそうです。関係者を恐れさせているくらいに。反響音やモニター具合だけではありません。エアコンも嫌うそうです。音もうるさいし、空気が乾燥し喉の調子が悪くなるから、と。彼が演奏する時には、彼の流儀に沿わなくてはならないのです。

 

有名な逸話がいくつかあります。

例えば2003年7月、ロサンゼルスのハリウッドボウルでのライブでは、マイクがAKG414ではなかったという理由で「ブラジルに帰る!!」と言い出したそうです。

この時は、観衆1万7千人を前に、どうにかコンサートをしました。でも、怒りがおさまらず1時間30分の予定のコンサートは45分で終了しました。

このエピソードについては、このブログがわかりやすいですよ。

http://saponoblog.seesaa.net/article/209275615.html

 

ジョアンは、観客にも質を求めます。

サンパウロのクレヂカールホールのこけら落としの時は「もう二度とここにはここには来ないよ!」と言い、とんできたヤジに答えてペロッと舌を出したなんて話があります。

 

遅刻も当たり前です。

グリーンのパンツ(ズボン)を履くか、ブルーのパンツを履くか迷って1時間の遅刻をしたというのはとても有名ですね。

2000年ニューヨークで行われたJVCジャズ・フェスティヴァルでは「間違って違うメガネをかけて出てしまい戻ろうとしたらルームキーを部屋の中に置きっ放しだったから」という理由で1時間以上の遅刻したそうです。

 

変わった行動ばかり取り沙汰されてしまうジョアンですが、私は、決して嫌な人でないと思っています。

ある日の夜中のこと、マイナーなラジオ局に電話をかけ、今日はノエルホーザ(初期のサンバを代表する有名な作曲家・歌手)の生誕記念日だから、ノエルの歌を捧げるためにそちらに行かせてくれ!と突然に頼んでナビゲーターを驚かせたなんて逸話もあるんですよ。 

 

ジョアンにしてみれば、シンプルに最高のコンサートをしたいという要求だけなのでしょう。その完璧主義が、普通の人には理解しにくいということなんですね。いつもパジャマで過ごすというジョアンですが、コンサートの時にはしっかりスーツを着こなしています。メガネもパンツも、ジョアンの思い通りものでなければコンサートが完成しないということなのでしょうか。

 

※エピソードの一部はジョアンジルベルト2003年ツアーのパンフレット国安真奈さんお文章を参考に書きました。

コンサート会場に着いてからコンサート開始まで

私は1階の前から30列目、S席でした。もちろん会場は満席。

全国からジョアンを見に人が集まっていました。

そういえば入り口で、さかな(というバンド、知っていますか?)のギター西脇さんを見かけました。

おそらく、有名な方もたくさん来ていたんでしょうね。

会場は、今考えると現在の私くらいの年齢層だったのかな。20代前半だった私は、なんだかおじさんがたくさんいるなと思いました。(失礼)

 

もちろん(というのもなんですが)、時間通りにコンサートは始まりませんでした。

館内放送では「ただいまアーテイストがホテルを出ました」とか、「アーティストは会場に向かっています」というような内容のアナウンスをしてくれていまいした。アナウンスの度にざわざわしていまいしたが「アーティストが会場に着きました」というアナウンスの時には「おぉ」というようなどよめきがありました。

誰も、時間通りに始まるなんて思っていなかったんでしょうね。私はむしろ、あのアナウンスに「ジョアンが来てくれる!」という感動すら感じましたもの。

 

この伝説のコンサート、ジョアンの意向でエアコンは消されていました。空調の音や乾燥による喉の調子を考えてのことでしょう。

「アーティストの意向で空調を全て止めております。」

というアナウンスもありました。9月で外はまだ蒸し暑い頃でしたが、私はそれほど暑さを感じませんでした。たくさんの人がいましたから、少し、空気が淀んでいるという気はしましたが。

そうそう、コンサートでは非常灯というのかな。足元のライトも全て消されていたんですよ。消防法もジョアンには叶わないのです。

 

東京最終日のセットリスト

私は、その日のコンサートのセットリストを控えていました。それによると、当日のセットリストはこれ↓

全27曲。2時間を超えるコンサートだったと記憶しています。

1 Isto Aqui o Que E
2 Disse Alguem(all for me)
3 Bahia com H
4 Ligia
5 Bolinha de papel
6 Preconceito
7 Samba do aviao
8 Foi a noite
9 Pra Que Discutir Com Madame
10 Saudade da Bahia
11 Não vou pra casa
12 Louco
13 Samba de Uma Nota Só
14 Adeus América
15 Estate
16 Desafinado
17 A Felicidade
18 Corcovado
19 Rosa Morena
20 Doralice
21 Meditação
22 Aos Pés da Cruz
23 Sem Você
24 Chega De Saudade
25 Carnaval da Vitória
26 Wave
27 Garota de Ipanema

コンサートが始まってからのこと

1時間ちょっと遅れて、ジョアンがステージに歩いてきました。割れんばかりの拍手です。ステージの真ん中にはポツンと椅子がありました。そこにスポットライトがおとされています。ギターを抱えたジョアンは落ち着いた足取りで歩き、椅子に座りました。

そして日本語で

「こんばんは」

と言いました。可愛い「こんばんは」でした。どよめきと、拍手がおこります。拍手が少し小さくなったころ、すっと「 Isto Aqui o Que E」が始まりました。皆が引き込まれるように会場は静まり返り、ジョアンの世界になります。空調の音もならなければ、非常灯もありません。静寂の中の音楽でした。ジョアンは淡々と曲を弾き続けました。曲が終わる度に割れんばかりの拍手がおこりました。

 

あ。そういえば。1曲めが終わった後、ジョアンが英語で「excuse me.」言い、その後ポルトガル語で何かを話していました。おそらくスタッフに向けて。何を言っていたのかわかりませんが、コンサートでは空調や音響への注文を必ず行うという噂を聞いていましたから「これがジョアンのこだわり?」と思ったのを覚えているんです(実際のところはわかりませんが)。

 

ライブはCDとは全然違いました。全く狂わないリズムと、ギターにのる囁くような優しい声、指の先の先の先まで神経が行き届いているという繊細な感じ。ギター1本と声でこんなに聴かせるなんて。ジョアンはブレスさえ、リズムにのせていました。心地がいい。これは、心地がいいぞ。

誰かがジョアンの歌を「哀しさを甘く包んだ感じ」と表現していました。雑誌だったのか、ラジオだったのか、ネットだったのかは忘れてしまったのですが、まさにそんな感じでした。(ジョアンの曲には、哀しい歌詞のものがあったりします。)

本当に、神かもしれない。大げさかもしれませんが、そう思ったんです。

 

え!?どうした!!ジョアンの突然のフリーズ。

ジョアンの初来日の有名な話、フリーズについて。

簡単にいうと、コンサート中に全く動かなくなってしまったのです。時間にして約20分くらいです。長いよ!!という話です。

 

 アンコールで出てきたジョアンは「A Felicidade」を歌いました。曲が終わると、大きな拍手が起こりました。その鳴り止まない拍手を聴きながら……なぜかジョアンが全く動かなくなったんです。約20分も!

ジョアンがピクリともしない間にも、拍手はずっと鳴ってました。20分という長い時間ですから、拍手の大きさにも波はありました。でも、ずっと拍手は鳴っていたし、私も拍手をしていました。私の隣にいた人が「どうしたんだろう。」と話していたのが聞こえました。ジョアンはおじいちゃんですから、私は「具合が悪くなったんじゃ?」と心配になりました。

 

実は、前日の横浜公演でもこのフリーズがあったそうです。SNSもそれほど発達しておらず、自分の欲しい情報を取りに行きにくい時代でした。ですから、私は前日のフリーズのことなんて全く知りませんでした。

なんだろう? なんだろう? 変だな、変だな。と思いながら、拍手を続けました。20分くらいたった頃、ステージの袖のほうからブラジル人のスタッフがきて、ジョアンの肩に手を置きました。すると、ジョアンは「大丈夫」とでもいうように手を少し上げ「Corcovado」の演奏が始まりました。

正直、その時は何だかわからなかったです。

「5000人を目の前にして、全く動かないって大物だな。」と思いました。私だったら、そわそわしちちゃう。ちょっと会釈なんかしちゃうかも(小者感)。まあ、その感想はまったくトンチンカンだったんですけれどもね。

 

当時、このフリーズについては話題になりました。コンサート中にジョアンが寝たと言っている人もいたんです。その後、前の方の席の人がジョアンが起きていたという情報を発信したり、ジョアンが感激のあまりに泣いていたなんていう情報も流れました。ジョアンが会場のひとりひとりに「ありがとう」を言っている時間だったという人もいました。

今では有名なフリーズ、ジョアンが感激している時間と皆が解釈しています。

 

ジョアンは、初来日の時「こんな観客を探していた。」と発言したそうです。嬉しいじゃないですか。

 

このフリーズは、この後2回の来日でも繰り返されます。大阪では45分くらいフリーズしたとか!!

45分よ、45分。1コマ授業が終わっちゃうくらいの時間。

 

それでね、2006年の来日時のロビーには、『お客様におかれましては、瞑想(フリーズ)も含めコンサートの一部と考え、ジョアンと一緒に音楽の世界をお楽しみください』というような内容の貼り紙がされていたようです。

興味がある方はこちらのブログを。

ジョアン・ジルベルト 東京フォーラム 11/4 ( その他音楽 ) - レコメンドするレコードとその周辺 - Yahoo!ブログ

 

長くなりましたが

ジョアンのコンサートは、私史上最高でした。

私、このコンサートの後、しばらくはジョアンのCDを聴きたくなくなったんです。

余韻を壊したくなくて。笑っちゃうけど、本当の話。感受性が強い20代前半だったからかな。いや、今ジョアンに会えても、そんな現象がおこるような気がするな。

 

私はフェスが大好きで、時々行くのですが(出産後は行けてない)、どのフェスもトリは大きな声で煽るスタイルじゃないですか。いや、それも好きなんだけどさ。

 

ジョアンのように、シンプルに小さな音であんなにも人を感激させることができるんですよね。私はそういうライブ、他に経験したことがありません。

やっぱりジョアンはボサノヴァの神で間違いなし!って思ったし、またあんなコンサートに行ってみたいのです。

でも、もう二度と日本でジョアンには会えることは無いでしょうけれども……。

 

初来日の公演をCDで聞こう

2003年、9月12日の収録されたものです。

残念なことに、全曲収録ではないんですよね。

ジョアンの可愛い「こんばんは」が聞けますよ。