『翻訳できない世界のことば』という本を買いました
少し前に『翻訳できない世界のことば』という本を買いました。去年くらいから話題になっていて、気になっていました。
見開きで一つのことばを紹介している、絵本のような本です。
今まで、買うのをためらっていました。
あっという間に読み終わっちゃいそうで、コスパが悪いかと。
でも、私はこの本の装幀が気に入っていますし、本の中のイラストも好みなんです。
ゆっくりしたペースで見られるし、ちょっとリビングに置きっ放しにしてもサマになるんじゃない?と、今さらながら買っちゃいました。
明治時代の翻訳家は大変だったと聞いたことがあります。
今までの日本には存在しなかった物や概念を表す言葉がなく、たくさんの造語が作られたというのは、学校で習ったような気もします。翻訳する前にことばをつくることから始めなくてはならないなんて、想像するだけで大変ですよね。
昔に比べれば、想像もできないくらいにグローバル化した現代。
それでも他の言語で翻訳できないことばってまだまだた〜くさんあるようです。
翻訳できないことばこそ、その国らしいことばなんだなぁ。と、この本を読んで思いました。
例えば日本語の「侘び寂び」。これを説明しようと思うと「慎ましい生活の中に幸せを見出す」とか「朽ちるものを美しいと思う美意識」とか、またまた日本人っぽいことばを重ねてしまいそうです。
好きだったことばを少し紹介します。
マレー語「pisan zapra」
バナナを食べる時の所用時間
時間にして、約2分くらいのことを言うそうです。
おもしろいですよね。「こっから目的地までは、バナナを食べるくらいの時間でいくさ。」 と、使うのかな?「バナナを食べるくらいの時間で、ご飯ができるよ!」というと、なんだかご飯を食べる前にバナナを1本食べたくなっちゃいます。
ハワイ語「akihi」
だれかに道を教えてもらい歩き始めたとたん、教わったばかりの方向を忘れた時に「akihiになった」という。
これ、誰にでも経験があることじゃないですか?akihiになった、というと可愛らしいような気がします。「ごめ〜ん。今聞いたばっかりなのに、わかんなくなっちゃった。」っていうと、自分の反省の念と相手のちょっと呆れる顔が思い浮かびます。akihiになった、っていうとそういうマイナス面が省かれるような…。私はこの言葉に、ケセラセラ〜のハワイ文化を感じちゃったのよね。実際にどんなニュアンスで使われているかは現地の人じゃないからわからないんだけれどもね。
ドイツ語「waldeinsamkeit」
森の中で一人、自然と交流するときのゆったりした孤独感。
なにこれ、素敵すぎることば〜!こういうことば、いいですよね。アウトドア派の私としては、すぐにでも使ってみたくなります。けれども残念なことに、どう発音するんだかわかりません。
キャンプしている時にね、まさに「waldeinsamkeit」を感じることがあるんです。
皆が寝静まった後、焚き火の中から聞こえるパチパチ木が割れる音と、風で葉っぱが擦れあう音しか聞こえない時なんかに。
ブラジル・ポルトガル語「cafune」
愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ。
その仕草にことばがあるなんて、ロマンチックです。 髪にそっと指をとおす仕草って聞くだけで愛おしいという気持ちが伝わってきます。
夏目漱石の逸話に「I love you」を「月が綺麗ですね。」と訳したという話がありますが、私だったら「髪にそっと指をとおした」って訳してここからはじまるエロスって感じをプンプンさせたいな。(無い事実を作っちゃってるってば、その翻訳。)
ちなみに、私はその「月が綺麗ですね。」って逸話、最近知りました。そして、それ誰かが作った話なんじゃないの?と疑っています。その辺の考察は今後のブログで。(気が向けば)
あれを表すことばがあれば!と思う話
ことばになって初めて、その概念を認識するってことがありますよね。ことばの持つパワーってすごい。
「サザエさん症候群」ということばを聞いた時、おぉ。私の感情はまさにこれだ!と感じて興奮した記憶があります。
こっからは、私が思う「あれを表すことばがあれば!」と思う話です。
飲みすぎた翌朝の気持ち
「虚無感」とも違うんですよね。自己嫌悪と不安が入り混じったような、寂しい気持ち。この気持ちに名前があったとしたら、若かりし日の私は多用していたと思うんですよね。
伝わります?きっと、わかってくれる人がいるはずって思っています。
旅行が終わった後の気持ち
ずっと楽しみにしていた旅行が終わった時の状態を表すことばが欲しいです。何もなくなってしまったという虚しい気持ち。昨日まで一緒にいた友達が遠くにいっちゃったような、華やかな世界から急に自分の部屋に押し込められたような孤独感。妙にテンションが低くなっちゃうあの感じ。
男女の組み合わせがどうであろうとも使える“きょうだい”
口語では"きょうだい"で済まされるのですが、文字にした時にこまるんですよね。男2人なら兄弟(きょうだい)で問題ないですよね。女の子2人でも問題ありません。言わずもがな、姉妹(しまい)です。
組み合わせによって、兄妹(けいまい)や、姉弟(してい)ということばがありますが、あまり使われていないがゆえの使いにくさがあります。
でも、問題はここからです。これ3人以上ならどう表せばいいわけ?となった時に、「きょうだい」でいっか。となるわけです。いきなりの平仮名です。
"きょうだい”って男女問わずに使えることばのようですが“兄弟”という漢字が先行してイメージされちゃうという問題もあるように思います。
なんだか、使いにくくないですか?
と、ここまできて調べてみました。英語には“sibling”ということばがあるそうです。
これは、男女の区別がない“きょうだい”の意味なんですって。性的マイノリティも含んで使えるって便利じゃない?
そうそう。日本語にも、男女問わずの”きょうだい”を表すメジャーなことばが欲しい!
【おまけ】google翻訳で遊んでみました
“sibling”という便利な単語がある英語ですが、年の上下関係なく、性のみで区別してsister、brotherと呼ぶこともありますよね。日本文化とは随分違います。
これを、googleに翻訳させたらどうなるか、気になりました。
あぁ。siblingに性は関係ないはずなのに「兄弟」と翻訳されちゃった(予想通り)。
じゃあ、兄弟を翻訳すると?
予想どおり。brotherを翻訳したら、兄弟になるんだろうね。
あ、予想から外れた。兄の方だけ、選ぶのか。
他、2件の翻訳というところを開くと「弟」とも出てくるんですがね。「兄」と「弟」では全く違います。
こっからは、兄を翻訳してもbrother、brotherを翻訳すると兄、の繰り返しになります。
siblingという男女問わないきょうだいから始まったはずなのに「兄」という限定的なとことに行きついてしまいました。どうせ、限定するなら「カツオ」くらいまで限定して欲しかったな。(嘘)
文化を超えて翻訳するのって、今の時代でも難しいのかもしれないですね。
紹介した本