こんにちは。
今日は、「休日」について考えてみました。
「休日」という言葉がしっくりこないと言う夫
私の夫は、「この言葉はしっくりこない」「好きじゃない」という不満をあちらこちらに持っています。
その一つが、土日祝日の「休日」「休みの日」という言い方です。
(もちろん、働き方は多様化しているので土日ではない日が「休日」の方もいますね。)
夫はこう言うのです。
仕事や学校を生活のメインに考えるから「(仕事が)休みの日」って言うんでしょ?「趣味の日」「遊ぶ日」「家族と出かける日」のほうがしっくりくるんだよね。俺は休日じゃなくて、「遊ぶ日」って言い方にしたい!と。
「遊ぶ日」って。子供かっ!
私がもつ「平日」と「休日」という感覚
うううん。わからなくもないんです。夫の言っていること。
でも、私の感覚は違います。
私は「平日」と「休日」という言い方になんら問題を感じません。
仕事をするのは当たり前だから、月〜金は普通の日。つまり「平日」なんです。
平日は仕事の日、土日は息抜きの休日、みたいなのがもう刷り込まれているんです。
家庭より仕事をメインに考えるなタイプなの?と聞かれれば、「いやいや、家庭は大事だよ!」
と言いますが。
この感覚を調べるべく、ネットサーフィンをしていると、興味深いコラムを見つけました。社会学者の橋爪大三郎さんのコラムです。
このコラムの一部をまとめてみました。
聖書の下で「労働」は、人間が必要に応じて行う「人間の務め」です。それに対して、「安息」は神に対する「人間の神聖な義務」です。安息日に人々は、神を思い、祈りの時を過ごします。
対して日本はというと、古事記を見ると日本人の神々は働いています。日本人には安息ではなく労働が神々への神聖な務めです。
私たちの先祖は、労働は神への務めという文化の中を生きてきたんですね。働きすぎと言われる日本人。働くことが美徳という考え方は、むか〜しから継承されてきたのでしょう。私のもっている感覚こっからきているんだ、きっと!
西欧では、労働は人間が必要に応じて行う人間の務めっていうんですから、日本とは真逆の考えかたのようです。
バカンスが大好きなフランス人
8月はパリがすっからかんって知ってますか?みんなバカンスに出かけてしまうので、街にパリジャンやパリジェンヌがいなくなるのです。GWどころの休暇じゃないですよ。みんな3週間くらい休んで山だの海に出かけるんです。
教育においては、皆「バカンスが子供を育てる」と考えているようです。
有名なアイスクリームやさんでさえ、夏に長期の休みをとります。「稼ぎ時だろ!頑張れ!」ってつっこみたくなりませんか?
もしかして、バカンスはこうやって生まれた?
キリスト教やユダヤ教、イスラム教の多いフランス。
フランス人の多くは、安息は神への義務という文化の中で生きてきました。
日本人は働くことが神々への務めという文化の中で生きてきました。
安息は神聖な義務である人達と私達とでは、根底にある休日の感覚が違うんですね。
もしかして、もしかしてよ。
仕事を休むことが「望ましい人としてのあり方」だという文化がバカンスを作りだしたんじゃないのかな?私の想像でしかないのですが。
安息日以外もばっちり、休んじゃってさ。
安息日って遊び呆ける日じゃなくて、仕事しないで祈る日ですからね!って突っ込んでみたりして。
でもね。
正直にいうと、うらやましいんです。休んでばかりのフランス人。
私も進化しなくては
私のような「仕事は普通の日、休みの日は息抜き」っていう刷り込まれた感覚は古いんですよね。
もちろん、仕事にやりがいを感じているのは素敵なことですし、人生のエッセンスになると思うんです。
ただ、最近では「仕事」と「人生の楽しみ」を分けて考えるのが一般的なのかな。
そんな時代にうつり変わってきているような?と。
夫が言うように、休日という言い方をあらためてもいいかもしれない。
仕事の無い日は「趣味の日!」「家族の日!」といったほうが、人生を謳歌しているように聞こえませんか?
欧米人は仕事にドライです。
(みんながみんなそういうわけでもないかもしれないけど、傾向として、ね。)
私も、欧米人のように
「生きるの為の仕事だ〜!仕事の為に生きてんじゃないぞ〜!」と、心の底から言ってみたい。
そう、思うのでした。
おしまい。