なんでもない私の、ひとつひとつ。

5歳と2歳の男の子を育児中。夫のこと、息子たちのこと、趣味のこと、思いついたこと。どこにでもいる主婦の徒然。

私はラブホテル街育ち

こんにちは。りかです。

 

私たちが、家を探している時に不動産やさんに繰り返し言っている言葉

「場所は、子育て環境がいいところで。」

が、ちゃんちゃらおかしいなと気付きました。

いや、子育て環境がいいところを望むのは、至極当然の話だと思うんです。

 

でも、私はラブホテル街育ちです。さらには学校の環境がすごく好きでした。

f:id:rkssd0717:20171013160212j:plain

 

***

私が通った小学校は、仙台市一番の飲み屋街からほど近い、ラブホテル街にどんと建っていました。同級生の多くはラブホテルの前が通学路でした。ラブホテルの隣のマンションに住んでいる子だっていました。

私は、繁華街の逆方向から通っていたので、通学にはラブホテル街は通らなかったのですが、放課後、鬼ごっこの途中にホテルの1階の駐車場スペースに入り込んだことなんかはたくさんあるし、Y君の家からはホテルの部屋が覗けるっていう噂を聞いて、遊びに行ったこともあります。学校から出ればホテルだらけでした。

 

時々、その環境が問題になることもありました。

小学校3年生の子がホテルに連れ込まれそうになった(未遂で終わった)なんてことが、保護者への手紙に書かれていたことがありました。

小学校6年生の頃、図画工作で「屋上からの景色を描く」という課題がありました。エッチなことに過剰に反応を示す年頃です。ホテルが見えない、大きな公園側をスケッチする子もいましたが、私は仲の良い友達とホテル街の方をスケッチしました。そして、建物の看板「ホワイトホテル」なんて画用紙に書き込む時に、すごく楽しくて友達と盛り上がったものです。

そういえば、ホワイトホテルは、後にカラオケboxに改装されました。各部屋にトイレが完備されて、照明なんかもムーディーにできる元のつくりを活かされた部屋でした。中学生の頃に一番よく行ったカラオケboxです。

出来上がったスケッチは、教室の後ろに貼り出されました。皆のおふざけなのですが、ほとんどの人の絵には妙に色濃くホテルの名前がたくさん書かれていました。ホテルヴェルサイユ、ドンキーコング、ホテルクリヨン……。

授業参観に来た父兄が問題視するのも、今となってはわかるのだけれども、当時「それほど問題か?」と思っていました。

 

***

初めて、ホテルの前にいた知らないおじさんに声をかけられたのは、小学校6年生の頃です。

「アルバイトしてみない?」

私は、そのアルバイトというのがどういう意味なのか、しっかり理解できていました。たった一度一瞥し、ランドセルを背負ったまま猛ダッシュしました。

私はそういった環境で育ったので、その変にいる知らぬ男性に声をかけられることが、危険だということを教育されてきました。

中学生くらいになると、そういった人に声をかけられる頻度があがってきたように思います。

テレクラが全盛期だったころはテレクラから出てくる人にも要注意でした。

学校の周りには、テレクラがたくさんありました。

「ねえねえ、見て。」

と声をかけられた友人がいます。コートの前をはだけた男性は下半身をあらわにしていたそうです。

私の妹は年配のおじいさんに広げたお札を見せられて

「おじちゃんは、もう何もできないから、見せてもらってちょっと触らせてもらうだけでもいいんだけど。」

と声をかけられたり

「おしっこを売っていただけませんか?」

と声をかけられるなどぐんと変態度が高い人に会っています。

私も、妹も友人も、猛ダッシュです。愛想笑いなんかを作ってはいけないのです。

***

私はそういった環境で育ちましたが、それが特別なことだと思ったことはありませんでした。ラブホテル街の中にある学校であったけれども、他の学校にはないほど文化的な一面もありました。学区内には県の美術館や市の博物館、天文台や大きな公園、東北大学なんかがありました。ですから、当時は恵まれた環境だなくらいに思っていたんですよね。

 

人より少し早く、性的な欲求をもてあましている大人の男性は怖いということを学んだくらいで、それが後の人生に影響を与えたことはないように思います。

むしろ、思春期になると同級生の男子のほうが脅威ですから。友達だったはずの男の子から逃げ切ることの方が体力がいることのように思います。

***

 

教育環境が、学力に影響すると心配する親がいます。実は、私もその一人です。

よく考えてみると、私の育った環境はいいものではなかったのかもしれません。

確かに、中学生くらいになると、グレてしまった子はいました。

私は所謂ヤンキーという子たちと仲が良かったこともあります。いつの間にか離れてしまったけれども。

改めて今考えても、学校に来ない子も、授業をサボる子も、髪の毛をカラーリングしていた子も、皆そんなに悪い子じゃなかったように記憶しています。

 

ただ、こんなことを言うとすごく嫌なやつだ思われそうですが、どこかで私はこの子たちと違うという思いがありました。実際のところ、あの頃の私たちに大差なかったのだろうけれども。何が違うかといえば私は自分で「不良になる自分を想像できなかった」それだけだったのかもしれません。

 

私のことで言えば、それほど学校の環境なんて関係なかったように思います。むしろ家庭環境の方が大事なのかな、と。

私の両親は絵に描いたような真面目な人です。自分の親を見ていたせいか、私はそこそこ真面目に育ちました。真面目ってどういうことだかよくわかりませんが、少なくとも輪からはみ出す自分は想像ができませんでした。

小・中学生のころはそれなりに勉強ができたし、水泳や部活にのめりこんでいました。

高校生になると、少し私に転機が訪れます。煙草やお酒を覚えたし、男女の付き合いも覚えました。一時的なことでしたが、ちょっと悪さをしてみたくなったのはあの環境の学校から離れてからのことです。

今では、煙草は吸いません。

 

小学校の時に仲が良かった女友達は、今でも仲がいい親友です。皆、それぞれの道を自分らしく生きています。稼業をついだり、医者になったり、すごくスキルの高い主婦だったり。

私はブログのタイトルの通り、自慢できることは何もありません。このブログを読んでくれる方もリアルな友人も、私に「真面目だね」って言うので、きっと真面目な方なんだと思います。

どこにでもいる主婦ですが、毎日楽しくやっています。

 

***

そんな風に自分の育った環境を振り返ってみて。

環境なんて関係なかったよ!って思うのだけれども……。それでも、私はやっぱり「子育ての環境がいいところに住みたい。」って言っちゃうんですよね。

もっと子供を信じても良さそうなのに。

親って不思議なものですよね。