なんでもない私の、ひとつひとつ。

5歳と2歳の男の子を育児中。夫のこと、息子たちのこと、趣味のこと、思いついたこと。どこにでもいる主婦の徒然。

夫を羨んでばかりいないで、自分の感受性くらい自分で守るのです。

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こんにちは。りかです。

 

今日は、感受性の豊かな夫と、私の好きな詩についてです。

 

 

目次

 

泣き虫な夫

私の夫は、感受性が強いタイプです。

映画を見ては号泣し、新緑を見ては子供のように感動します。

プロポーズの時は、夫が感極まって泣きながらのプロポーズだったし、結婚式では、控え室に置かれた友達からのメッセージを見て式の前に号泣しました。

披露宴では、新婦の私を差し置いて号泣し、私は

「あ、だめだ。私しっかりしなきゃ。」

と、感傷に浸れずあまり泣けませんでした(笑)。

もちろん、息子二人の出産の立会いでも号泣。産後だけ、私も一緒に号泣です。(夫は産んでいる最中から堪えられずに泣いていました。)

 

趣味がストレスを軽減する

感受性豊かで友達が多く、日々の感動にあふれている夫。

でも、少し困ったことがあります。

それは、変化に弱くストレスを溜めやすいということです。

 夫は音楽を聴いたりギターを弾いたり、ランニングをしたり、自分のストレスを発散する時間を取り、どうにか均衡を保っています。

ストレスを溜めると、ランニングの回数が増えるので、すぐにわかります。

ランニングって体力づくりにするイメージがありますが、走ることで幸せホルモン(エンドルフィン)が分泌されるんですよね。ストレス発散法として、理にかなっているようです。

育児が始まった頃、私は夫だけが自分の時間を作ることにストレスを溜めていました。私には、自分の時間がまるで無い。今、助けて欲しいのにランニングに出かけるの?と。

ランニングに限らず、趣味はストレスを解消してくれます。夫はそれをよく知っているからこそ、私がブログを書くという趣味を見つけたことを喜んでくれているようです。「自分の時間は大事にしなきゃ」と言ってくれます。

でも「どんなブログ書いているの?見せて?」なんて、絶対に言いません。ちょうどいいくらいの無関心さです。

 

夫の感受性が羨ましい

私は、ブログを書くようになってから、夫の感受性の豊かさが羨ましく思うようになりました。

私は夫と同じ生活をしていても、夫の方が毎日変化に富んで充実感を味わっているように思うのです。

夫がブログを書いていたら、ネタに困るなんてことないだろうな、と。

 

大好きな詩を振り返る

そんなことを考えていたら、ふと。

私が高校生だった頃に読んで、心をガツン!!とされた詩を思い出しました。

あの頃、高校生活が楽しくなくて厭世的だった私。

この詩に「ばかもの!!」っと怒られたように思ったものです。

とても有名な、茨城のり子さんの詩です。

 

自分の感受性くらい

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

人のせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

何もかも下手だったのはわたくし 

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

 

ああ。久々に読んだら、やっぱり怒られちゃった。

厳しいことを言われているけれども、奥に愛があるように感じるんですよね。この詩。

暗唱できるくらい好きな詩なんだけれども、忘れていました。

自分を見失いそうになった時、振り返りまた読みたいと思います。

まずは、自分に水やりを。

アウトプットの為のインプット。

心を豊かにする読書でもしたいなと思った夜でした。

子育て中で時間がないということを理由にせず、少しずつ、少しずつ読み進めていこうかな。

 

おまけ

「自分の感受性くらい」の他に、「私がきれいだった時」という戦時中の詩が有名な茨城のり子さん。「私がきれいだった時」は小学校の教科書に載っていたのを覚えています。改めて読むと、いつも発見がありますが私は「汲む」という詩も好きです。

いい詩って、時代を超えても古びないなぁ。と思った今日、真面目なブログでした。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おしまい